伊勢志賀山流について

伊勢志賀山流

およそ四百年前、近江の志賀にて喜多流の能の囃子方が「振り」を創作。志賀山流として一時隆盛になりましたが、その後衰退。江戸時代、歌舞伎役者の中村伸蔵が衰退を惜しみ、後ろ盾となり再び栄えます。その後明治時代に入り、伊勢と東京に分かれ、今日に至り、日本舞踊界で最古の流派とされています。関西における再興は、繊細で品格のある独特の芸風を身につけていた伊勢志賀山流二世宗家伊勢近が、戦前戦後、多くの門弟を擁したことから始まります。

特徴

能を起源とするため、振り付けは古典の中でも特に古格を守る伝承があります。その第一がナンバ歩きで、ナンバ歩きとは右手と右足、左手と左足を同時に出す古来の歩き方ではありますが、志賀山流の振り付けにはほとんどこの振りが取り入れられております。また、独自の作品として「志賀山三番曳(舌出し三番曳)」「仲蔵狂乱」などがあり、その他にも「汐汲」の小道具に市女笠を使うなど、独自の型を持っています。

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